江戸時代の破産(その1)

1分散

一般には、江戸時代の破産には二つあって、自己破産を意味する「分散」と債権者が申立する強制破産手続である「身代限」とがあると言われています。
しかし、現在の自己破産手続に相当する分散こそ破産と呼ぶべきものです。

分散は、債務者の申出によって全財産を債権者に提供して換価処分し、債権者に割当して弁済するというものです。
常に多数の債権者が競合することを前提としています。

分散は、商人と非商人とを問わず庶民の間にしばしばおきたもので、江戸時代の小説にも出てきます。まずは、ご存じ、井原西鶴に登場していただきます。

「近年、町人身体たたみ分散にあへるは、好色・買置この二つなり」(『西鶴織留』巻一)。

江戸時代、商売人の自己破産は少なくなく、井原西鶴はその原因として女性問題と投機の失敗(商品を先行投資で買って失敗してしまうこと)の二つをあげています。

2任意申立

身代限は裁判機関の申付によって行われるものですが、分散は当事者の合意によって行われるもので、裁判機関は分散の手続には原則として関与しません。
分散の許可を得るためには、町村役人に申出る必要があります。
債務者は債権者の同意を得て自発的に分散の許可を町村役場に願い出て、その後に手続がすすめられます。
債権者が分散を承諾する書面を作成したこともありました。ただし、債権者全員が同意する必要はなく、その大多数が承諾していれば足ります。

 「徳川時代、分散と称するはフランスの中世に破産手続きの一種として行はれたる財産委付に相当するものにして、競合せる多数債権を満足せしむるこ能はざる債務者が債権者の同意を得て事故の総財産を彼らに委付し、その価額を配当せしむる制度なり」(『徳川時代の文学に見えたる私法』)

その財産処分の方法は、「債務者が分散の申出をなしたるときは、債権者は集会を催し、先づ債務者の総財産の評価をなさしむるものとす。
債権者集会が分散に決定したるときは、債務者の財産中、売却するべきものは入札に付す」ることになります。

3除外財産

分散は、債務者の有する全財産が処分の対象となるのが原則ですが、地方によっては、宅地を除外したり農具や炊具を除外するところがありました。

宅地を除外したのは、「家名断絶」「戸口減少」を避けるためで、労働力の減少を回避するためのものでした。
ちなみに、現在のアメリカの連邦破産法でも一定の価額以下のマイホームは破産手続から除外されています。

分散の手続において、担保は優先的な扱いを受けます。
入札に先立って、債権者は債務者の財産を封印します。
これによって債務者は自己の財産の処分権を失いますが、債権者の承諾を得れば一部の財産を保留することもできました。
当時の習慣では、分散者の妻子や姉妹その他の女子の私物は分散勘定から除外したようです。

4配当

入札売却後、その代金を各債権者に割当てて弁済します。
つまり、債権額に応じて分配します。売却の対象となる財産には、動産・不動産を問わず、債権もふくみます。
売却代金は貢租未納があれば、まずそれを支払い、その後に分散を承諾した債権者のみに対して配当金を分配します。
町村役人の立会のもとに分散割帳または分散配当帳というものが作成されます。
分散配当金は配分金と呼ばれました。

井原西鶴の『日本永代蔵』に、この分散の実情が描かれています。
ある分散者は、債権者86人、負債が11貫目で、残った資産が2貫500目だった。
債権者集会が半年も続き、飲み食いしているうちに配当金が残らなくなった。
分散勘定に要した一切の費用は、債権者仲間が平等に分担することになっていた。

また、大阪の伊豆屋という資産家が倒産したときには、全債務の65%の資産を提供したうえ、残る35%も後日に資力を回復したときには弁済するという「仕合せ証文」を出し、実際にあとで返済した。
これは珍しい美談として紹介された。ちなみに、銀11貫目とは、440万円にあたる。
当時の分散では2割、3割の配当で済まされることも多かったので、このような65%配当というのは「上々の分散」だった。
これは今の日本でもまったく同じです。そんな高配当はおよそ考えられません。

分散のときの標準配当が4割であったことは、次の文句からも分かります。

 「されば今の世の姿、四歩にてあつかふは極意、五歩にすむつもりと心得、六歩出せれば上々吉のつぶれ、負せかたより草履をぬいで腰をかがむる事になる」(『今様二十四季』)「されども今の代のすがた、四歩出せば上々吉の身体倒」(『好色敗毒散』) 「勘定して四歩に当たれば今の世の倒人にはめづらしきよい分散なり」(『子孫大黒柱』)「月三歩に廻れり、丈二歩に廻る分散も世になき事にはあらね共」(『世間手代気質』「むかし大津で千貫目の借銀を、世間にためしのない事だと評判したが、近年は京・大阪で三千五百貫目、四千貫目の分散も、さほど多額だという人もなく、時代が移るにつれて物事も大がかりになって来た」(『日本永代蔵』)

解説によると、金持ちは最低銀500貫目(二億円)、長者とは最低千貫目(四億円)ということになっています。
だから、高額の破産者の借金は四億円で評判になっていたけれど、近年では14億円とか16億円の借金で破産(分散)するというわけです。
こうなると、現代日本とあまり変わらない気がしますが、どうでしょうか。